一年後の祈り

今にも泣き出しそうな朝のお天気は、午後には大声を上げて泣き出した。
去年の10月23日も空は一日中泣いていた…

早々と本日のノルマを果たし、メイクだけは元気いっぱい晴れやかに愛車で出掛けた。
行く先は、御用達たねや…してターゲットは“どら焼き”
パッケージが変わり、気持ち小さくなったんじゃない!?と違和感を覚えながらも購入。
次にそこから最寄のお花屋さん…買ったのはガーベラが主役の小さなフラワーバスケット
助手席に面子が揃うのを待っていたのは、猫缶2つ。
愛車はそこから20分程田舎に向ったメモリアルパーク
ここには去年まで10年余りを共に過ごしたアメリカンショートヘアーziziが眠っている。
あれから一年が経ってしまった…

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私は今日を迎えるのが怖かった。
今月に入ってからというものの何度か軽いフラッシュバックにあって、大切なものを失う恐怖感が蘇ったりもした。
でも悲しみに暮れた日々の後でtantanさんに出逢い、totoにも逢った。
思い切り握り潰されるような胸の痛みと勝手にはらはらと涙が噴き出す不安定な状態が次第に和らぎ、傍らで息づく無邪気さは心を徐々に解きほぐした。
1月のziziの誕生日に、彼との出逢い、生い立ち、暮らしぶりをこの場で披露した。
亡くして3ヶ月の月日は、そのあらましを語るにはまだ早過ぎて酷だった。
それから9ヶ月…Xデーからは一年後つまり今日、それくらいには私なりにziziが旅立つまでのことが頭の中では消化出来ているだろうと思っていた。
いやむしろ今日には語りたい、語らなければとも思っていたのだが、なかなか上手く思い出せない…
この時間になるまで色々考えながら何度も書き直したりしていたが、やっぱりちゃんと思い出すことが出来ない。
やっぱりまだ話せない…思い出すのも怖い、胸の奥にまだ傷みが走り脳が無意識に身体を拒絶させる。
愛するものの死に出会ってしまったとき、その悲しみを受け入れ 、少しずつ、ホントに少しずつ心が前に動き出していくことを“グリーフ・ワーク”といい、そのお手伝いをするのが“グリーフ・ケア”というらしい

つい先日人生の先輩である方から教えていただいた言葉…
その方のお話によると「死という現実を受け入れる…」ということから始まり、葬儀などもその一環とみるらしい。
例えば人間の終末医療のように予告・告知されたものだと受け入れることは現実的な物事と同時進行だが、大方の場合は皆、認められないままにセレモニー的な現実が進められていって精神的には置き去りになる方が多いような気がする。
だから本当のところグリーフ・ワークっていうモノはかなり先にあるように私には思える。
私にとってはグリーフ・ケアの役割をしてくれているのがブリ兄弟であって、その先にあるグリーフ・ワークにはまだ到達していないよう…だから去年の今日に未だ向き合うことが出来ない。

それでも元気で暮らしているよと、新しい相棒が出来たよとziziの好きなものを持って元気な姿を見せに行ったけれど、空と一緒に泣いてしまった…。

彼が私の誕生日に亡くなったのは、きっと忘れて欲しくないから…
だから振り返るつもりも、止まるわけでもないのなら、まだ泣いてもいいのでしょう?

帰宅して私を迎えたブリ兄弟には「有難う…ただいま」とちゃんと笑顔で云えました。

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ゴメンなさい…要は混沌とした気持ちで今日を過ごしたということです。
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by Brian0712 | 2006-10-23 23:03 | zizi